この1機 <十試艦上攻撃機>
<九七式艦上攻撃機>
実戦配備とその戦い
九七艦攻は文字通り空母に艦載される攻撃機である。
日本海軍では急降下爆撃できる艦載機を艦上爆撃機と呼んだ。
艦上攻撃機は急降下できないものの、塔最重量は艦上爆撃機
を大きく凌ぎ、1t超の積載量を誇る。
九七艦攻の場合、標準の爆装は1t程の重量の45cm航空魚雷
あるいは800kgの爆弾である。
航空魚雷はいわゆる酸素魚雷ではなく、通常の魚雷が使われた。
整備が容易であること、長大な射程は必要ないこと、雷跡を
隠匿する必要がないこと、などがその理由である。
中国大陸を飛んだ1号艦攻は250kg爆弾2発や60kg爆弾
を6発搭載する事もあった。
空母に搭載された九七艦攻は3号が主力である。
その実戦の場は真珠湾奇襲となるが、その前に既に命がけの
訓練が繰り返されることになる。
低空ギリギリまで降りる3機の九七艦攻。
周囲の電柱や家屋、画像下に見える海面から、いかに危険な
高度であるかわかる。 現在なら市民からの抗議は必至だ。
通常100m近かった魚雷投下高度を10mまで落し、機首
上げ1度と言われる訓練は、今から見れば危険極まりない。
落された魚雷の上げる水しぶきが機体をかすめそうだ。
これらは全て、真珠湾内での雷撃を考慮した訓練であった。
九七式1号艦攻はすでに中国戦線に参加していたが、本命の
九七式3号艦攻の桧舞台は真珠湾に用意されていた。
昭和16年12月8日、米太平洋艦隊の牙城・真珠湾を目指し
ていた日本連合艦隊機動部隊から続々と艦載機が飛び立つ。
第1次攻撃隊に参加した九七艦攻は合計89機。
内40機が浅深度用に改修された魚雷を装備。
残る49機は800kg徹甲爆弾を搭載していた。
計画目標は当然、停泊中の大型艦である。
(浅深度用魚雷は数そのものが足りなかった。)
第2次攻撃隊の九七艦攻54機は、全機陸上施設を狙う計画
で、250kg爆弾か60kgの爆弾を搭載した。
中には偵察員が写真機などを搭載していた機体もあった。
攻撃の結果については、広く世にしられている通りである。
しかし、損失は5機のみと言われているが、帰還機の中にも
搭乗員の機上戦死があり人的損失は少なくなかった。
真珠湾上空を飛ぶ九七式3号艦攻の有名な一葉。
第5航空戦隊の空母瑞鶴所属の307号機。
機番が300番台なので当然ながら実戦部隊所属の機である。
胴体の2本の白帯は第5航空戦隊2番艦の所属を表す。
第2次攻撃隊機で既に爆弾投下後のようなので真珠湾奇襲も
最終盤と思われる。
次項
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