この1機 <十試艦上攻撃機>
 <九七式艦上攻撃機>



真珠湾以降、機動部隊の南方進出と共に九七艦攻の戦域も
南方方面が主となっていく。 
序盤はほとんどが対陸上爆撃で、800kg爆弾が多用され
九七艦攻も水平爆撃の戦術を主用していた。
この時期は迎撃機との遭遇も少なく、また零戦が強力な威力
を発揮した時期であり、比較的損失も少なかったようだ。
対空砲火による陸上からの幾分かの迎撃はあったが、脅威
と言うには程遠いレベルだった。
作戦と作戦の間には陸上基地での訓練なども実施できた為
搭乗員の技量維持・向上や、疲労回復に役立ったと思われる。


ハーミス撃沈に見られるように、この頃の機動部隊の敵は
イギリス軍も多かった。 九七艦攻が遭遇した迎撃機も
ハリケーンが多かった。

昭和17年5月7日・8日のサンゴ海海戦で、初めて臨戦状態
の空母対空母の戦いが生起した。
海戦序盤でポートモレスビー攻略部隊の支援にあたっていた
小型空母祥鳳が米艦載機の集中攻撃で沈没。
搭載されていた12機の九七艦攻は艦と共に沈んだ。
米攻撃隊の無電による撃沈報告「Scratch one Flattop」は
印象に残る一文である。
米艦隊の一部も索敵の九七艦攻によって発見され、翔鶴と
瑞鶴所属で九七艦攻24機を含む78機の攻撃を受けて
給油艦と駆逐艦が撃沈された。
九七艦攻はこの後の索敵でも米機動部隊を発見。
しかし薄暮夜間の攻撃に発艦した九七艦攻18機を含む攻撃
隊は米直援機の哨戒網に引っ掛かり、九七艦攻は9機を喪失。
帰還時にも帰路を失した1機を失い、九七艦攻は緒戦でかな
りの損失をこうむった。
あけて8日、日米はほぼ同時に敵艦隊を発見、攻撃隊が飛び
立つ。 しかし九七艦攻は翔鶴・瑞鶴の両艦をあわせても
わずか18機の出撃がやっとだった。
索敵に成功した九七艦攻は、帰路の燃料まで使用して攻撃隊
を米艦隊まで誘導した。 そして久々雷撃装備の九七艦攻は
米艦隊に襲い掛かり、空母レキシントンに2発の命中魚雷を
与え、撃沈に一役買っている。


炎上する空母レキシントン。 この後、友軍の駆逐艦の魚雷
によって撃沈処分された。 しかし日本軍のポートモレスビー
攻略を挫折させた事は大きな「勝利」と言えるだろう。

そして1ヵ月後、ミッドウェー海域には九七艦攻93機を含む
大量の艦載機を搭載した日本軍機動部隊が現れる。
また支作戦ながら、アリューシャン方面にも九七艦攻を搭載し
た空母が派遣されていた。
6月5日に日本軍の攻撃の火蓋が切って落された。
赤城・加賀の両艦に搭載された九七艦攻は、出現するであろう
米艦隊に備え雷撃装備のまま待機。 飛龍・蒼龍、両艦の九七
艦攻が800kg爆弾を装備しミッドウェー島の米軍基地に攻
撃を加える。 九七艦攻は4機が喪失した。
攻撃効果不十分と見た攻撃隊指揮官友永大尉が「第2次攻撃の
要有りと認む。」を打電。
これを受け、待機中の九七艦攻は雷装から爆装への換装作業へ
入った。 その完了を待たず、索敵機から空母発見の報が入る。
爆装を再び雷装へと換装する。 空母上には格納されていない
弾薬もあったという。 雷装換装完了直前、上空に米艦載機が
現れた。 「敵機直上、急降下」
米急降下爆撃機が、実弾装備の九七艦攻がズラリと並んだ甲板
に投弾する。 空母の最も脆い瞬間を襲われれば、さしもの
大型空母も一気に戦闘能力を喪失。
1隻だけわずかに離れて行動していた飛龍を除く3空母が一気
に失われた。 搭載されていた九七艦攻も全て喪失された。
わずかに残った飛龍の艦載機のうち零戦と九九艦爆の第1次
攻撃隊がすぐに発艦。 さらに第2次攻撃隊としてミッドウェー
から戻った友永大尉に指揮された九七艦攻10機を主力とする
16機の攻撃隊も続く。
第1次攻撃隊の九九艦爆により命中弾を受けていたヨークタウン
へ第2次攻撃隊の九七艦攻が襲い掛かる。 大量の米直援機を
振り切り投下された魚雷のうち2発が命中。 空母ヨークタウン
は大破・傾斜した。
しかし飛龍もまた残存の米空母の艦載機による攻撃で被弾。
結局、ミッドウェー作戦に参加した4空母は全滅した。
搭載されていた九七艦攻も全てが失われた。


総員退艦後に曳航されていたヨークタウンは、翌日イ168潜の
雷撃により撃沈された。 戦歴は短かったものの、緒戦の米海軍
を支えた艦だった。 艦名はエセックス級2番艦に引き継がれた。


次項

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