この1機 <SBDドーントレス>


緒戦の戦歴
1941年12月8日、ハワイへの帰途にあった空母エンタープライズ所属機が、前方警戒の
為に出撃。 予定通り、帰艦せずにハワイ・オアフ島の基地に着陸する進路を取った。
この編隊の一部が、ハワイ上空で真珠湾奇襲の日本軍攻撃部隊に遭遇。 味方の対空砲などに
も撃たれ、ひどい損害を被った。
これらの機体の中の2機が、2日後にハワイ近海で日本軍潜水艦イ70を撃沈し、太平洋戦争
におけるSBDの初戦果を記録した。

1942年に入って、SBDは機動部隊の戦力として、マーシャル諸島やマーカス島への攻撃
に参加し、緒戦における反撃の嚆矢となる。
5月には珊瑚海海戦が生起。 小型空母「祥鳳」を撃沈し、大型空母「翔鶴」を炎上せしめた
戦力の片翼を担ったのもSBDであった。
海戦初頭、レキシントン・ヨークタウン両空母併せて50機以上のSBDが、合計13発もの
爆弾を命中させ、雷撃隊の合計10本もの命中魚雷とあわさって祥鳳を撃沈した。
SBDの損失も決して少なくなかったし、米軍は正規空母1隻を失い、1隻が大破。
それでも、優勢な日本軍のポートモレスビー攻略を断念させ、戦略的勝利を引き寄せた。


マーカス島攻撃に向け発艦するエンタープライズ所属のSBD。


大檜舞台、ミッドウェー
「敵機直上、急降下!」の警報を見張り員が発した時、加賀を狙ったエンタープライズの艦爆
隊は既に急降下機動からの投弾を開始した。 直掩の零戦は、この寸前に襲いかかってきた雷
撃隊に対処する為に全て低空に降りていた上に、艦載の対空砲火も全く間に合わなかった。
つまり米艦爆隊の攻撃開始時には、日本海軍機動部隊は全くの据え物切りの状態であった。
発艦寸前の機体のいる加賀の飛行甲板に命中弾。 この瞬間、大型空母加賀の死命は決した。
直後にはヨークタウンの艦爆隊が蒼龍に襲いかかる。 対空砲火に対する危険分散の為、既に
トラブルから爆弾を失っていた機体も急降下機動に移る。 エレベーター部に被弾した蒼龍も
合計3発の命中弾で命脈を絶たれた。
加賀と並ぶ巨艦赤城には、エンタープライズ隊からはぐれた3機だけが攻撃を敢行。
1機の直掩機が発艦した直後、命中弾1、至近弾2を受けた赤城の艦上で燃料満載の艦攻やそ
の足元に置かれていた対陸用爆弾が次々に誘爆。 4万トン超の巨艦は、たった1発の500
ポンド爆弾の命中が起点となって次々と燃料弾薬が誘爆、致命的な不具合が惹起し、ついには
味方魚雷による自沈処分となった。
4時間後には飛龍の放った攻撃隊が米空母ヨークタウンを攻撃、後日の撃沈へと繋がる損害を
与えたものの、その2時間後には再び来襲した米艦爆隊の攻撃を受け炎上、味方魚雷による自
沈処分へと繋がっていく。
ミッドウェー海戦で、日本機動部隊の4空母を沈めたのは全て急降下爆撃機で、そのすべてが
SBDドーントレスであった。


1942年6月4日、ミッドウェー周辺で空母ホーネットへの着艦を復行するSBD。
LSO(Landing Signal Officer) と呼ばれる着艦信号員の真上を航過している。
後年、光学着艦支援装置が配備され、飛行機にとってもLSOにとってもより安全な着艦がで
きるようになった。
撮影当日の日付や光源の強さ、機体下部に爆弾等が無い事などから推察するに、何らかの作戦
後の可能性が高い。 更に後方にはロイタリング中の機体が3機写っている。
実際、ミッドウェー初日の戦果は、ほとんどがエンタープライズとヨークタウンの所属のSB
Dによるもので、ホーネット所属機は会敵予想海域で会敵できず、燃料不足による海没なども
発生し喪失が多発した。


ミッドウェー上空を行くSBD。 機体下に爆弾の安定フィンのようなものが見える。
写真下側、長く伸びる白い煙は、炎上する日本軍重巡洋艦「三隈」とされている。
潜水艦発見による隊列の乱れが原因で接触した「最上」と「三隈」は、ミッドウェー海面から
の退避へうつっていたが、索敵中のSBDにそこを発見された。 しかも索敵機は重巡を空母
と間違って打電。 米艦隊司令官スプルーアンスは全力での攻撃を下令した。
程なくホーネット隊をはじめとする各隊の残存戦力のSBDが殺到。 速力が低下した重巡洋
艦はたちまち多数の直撃弾を受け、三隈の上部構造物は焼け落ちた廃墟と化した。


ミッドウェー上空で、着艦の為に着艦フックを下してロイタリングするエンタープライズ所属の
SBD−5の編隊。 作戦後の帰還時と思われるが、比較的余裕を持っているようなので、「敵
を見ず」の索敵任務か、比較的被害の少なかった攻撃任務だったのだろうか?


第17任務部隊の重巡洋艦アストリアの傍に不時着水するSBD。
この時、既に旗艦ヨークタウンは航行不能に陥っていた。 アストリアには艦隊の首脳部が移乗
し、本艦には将官旗が掲げられた。 


ガダルカナル島をめぐる戦いでも、海軍機、海兵隊機としてSBDは第一線に投入された。
日本軍が造成していた飛行場を、機動部隊の援護の下に米軍が奪取しヘンダーソン飛行場と名付
ける事になるが、その一連の戦いの中で日本の空母「龍驤」を撃沈した。
艦載されていたSBDの一部はそのままヘンダーソン飛行場に分遣され、いまだに石・砂・泥の
ひどい滑走路面に悩まされながらも初期の作戦行動に従事し、日本軍輸送艦隊へも攻撃を加えた。
金剛をはじめとする日本軍高速艦隊の夜襲による対地艦砲射撃にも見舞われたが、後続の戦力が
整うまで、日本の輸送線を攻撃し続けた。


ヘンダーソン飛行場の列線に翼を並べるSBD。
傾いているようなテント貼りのすぐ上に、車両の轍のようなものが写っており、現場の地面の状
態の悪さが偲ばれる。 後にはスノコ状の鉄板を敷いた見事な前線飛行場となっていく。

次項

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