初期の戦略爆撃


広く知られている画家パブロ・ピカソの大作「ゲルニカ」。
この絵の題材になったのは、1937年4月26日に敢行
されたある街への爆撃の惨禍である。
街の名は「ゲル二カ」、スペインの北辺にある人口4千人
足らずの片田舎である。 当時スペインでは内乱が起きて
おり、国は二分していた。 経緯については割愛させて頂
くが、そのうちのファシスト側にドイツ軍が肩入れし、自
国の軍をコンドル軍団として派遣し軍事援助をしていた。

この爆撃は「戦略」と言うよりは「戦術援護」に近い意味
あいを持った爆撃ではあったが、その結果と後の無差別爆
撃の先鞭になったことから、記憶されるべきものである。
ゲル二カが爆撃目標になったのは単純な理由であった。
「敗残兵が撤退していく先。」だからである。
当日の夕刻、コンドル軍団のHe111が攻撃に飛び立つ。
ゲル二カで「市民」の避難計画が練られていた頃である。
市民は漠然とした不安を感じていたものの、まだ前線が接
近していないこともあり、パニックに陥ることもなかった。
そこに、第一弾が投下された。



He111爆撃機の編隊
民間人を巻き込むことを承知
の上で爆撃を敢行した。

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