ドイツ殲滅
第2次大戦中、枢軸国であるドイツと連合国であるイギリス
とは、国の威信をかけた航空決戦を展開した。
俗に言う「バトル オブ ブリテン」である。
ドイツ軍によって電撃的にフランスが占領され、直接にルフト
バッフェの脅威にさらされることとなった当時のイギリス首相
ウィンストン・チャーチルの言葉がある。
「フランスでの戦いは終わった。 イギリスでの戦いが始まる。」
イギリスにとっては正に背水の陣である。
1940年8月13日、ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは遂に
イギリス本土に対する爆撃開始を命じた。
同年10月上旬まで激烈な昼間爆撃が継続される。
多くのレーダー施設や飛行場などがドイツ軍の爆撃を受け破壊
され、9月7日と翌日にはロンドンが火の海となる。
しかし、ドイツ空軍の損害もまた甚大だった。
イギリスはレーダー網を活用し、邀撃体勢を確立し、ドイツ機
を待ち受けていた。 イギリスにすれば航続距離の短いドイツ機が
遠路はるばるやってきた所を、寄ってたかって袋叩きにすると
いう地の利がある。
ドイツ空軍はあまりの損害に、10月以降は夜間爆撃に切り
替えている。
もともとこの航空戦は、イギリス本土上陸作戦に備えてのもの
だった。 しかしイギリス本土上陸は不可能との結論が出たので、
ドイツにとって本作戦には戦略的な意味が無くなった。
戦略的な意味は後に出てくる。
撃墜されるハリケーン戦闘機。
被弾で主翼が飛散しており、
スピンに入れば脱出は困難。
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