ドイツ殲滅
1942年8月、アメリカのB−17四発重爆撃機が
イギリスに到着し、フランス国境に近いルール工業地帯
への爆撃を開始した。
ドイツへの戦略爆撃が本格的になりはじめたのである。
「バトル オブ ブリテン」が、立場を入れ替えて再現
される。 問題はその規模だ。
ドイツが用いたのはいずれも双発の爆撃機で、爆弾搭載量も
1トンから2トン程度のものだった
それに対してイギリスが用いたのは主に4発の爆撃機で、爆弾
搭載量は3トンから5トンに達する。 そして、これらはいず
れも撃墜されにくく、強力な武装で防備を固めていた。
1945年2月13日と14日のドレスデン大空襲は圧巻だった。
両日に渡る全爆撃敢行機数、1000機以上。
パスファインダーと呼ばれる誘導機の投下したマーカーが、炎を
上げて基準点を確保し、後続の爆撃機本隊はそのマーカーめが
けて爆弾を投下する。 さらに後続が誘導機の指示に従い、その
周囲に爆弾を投下し、炎の網を広げていく。
しかも市民の救出作業が始まった時間を狙って、第2陣が殺到し
炎に向かってさらに投弾し、救出員ごと救出される市民にとどめ
を刺した。
ドレスデン市民の犠牲者はいまだにその数が特定できない程で、
説にもよるが、3万人から13万人と大きく開きがある。
1000機爆撃は、より一層激しさを増していく。
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