日本爆撃 中期


1944年11月1日、B−29の偵察機型F−13
が帝都に侵入、続いて5日と7日にも飛来し写真撮影
を行なった。 誰の目にも帝都爆撃は必至であった。
11月24日、遂に帝都にB−29本隊が侵入した。
目標は戦闘機用エンジンを作っている中島飛行機の
武蔵野製作所。 昼間高高度精密爆撃である。
しかし冬場のジェット気流の為に照準が合わず、
多くの機体が周囲の都市部に投弾してしまった。
この爆撃を皮切りにマリアナのB−29群による爆撃
の目標は東京以外にも各地の大都市や軍事施設
などに及んだが、いずれも昼間高高度からの爆撃
だった為に、まだ被害は限定されていた。

1945年1月20日、第21爆撃兵団の司令官の
ハンセル准将がルメイ少将にバトンタッチした。
しばらくはルメイも高高度精密爆撃を行っていた
が、「日本軍には低高度用対空火器と夜間迎撃機
が少ない」との情報から、戦術の転換を決意した。
ジェット気流の影響を受けず、2倍以上の爆弾を
搭載し、目標へ確実に投弾でき、火災により広範囲を
焼き尽くすことができる爆撃。
都市部に対する夜間低高度からの無差別焼夷弾爆撃
を行う。 世界最強の航空軍は眠る民間人を焼夷弾
の目標に置いた。

    
B−29爆弾倉内に積まれ        中央がカーチス・ルメイ少将
たM47収束油脂焼夷弾。        


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