攻撃の難しさ


日本軍にとって米軍の何が恐ろしかったかと言えば、それは異論なく
「物量」だったであろう。 特に航空関係者にとっては切実であり、
消耗戦と化した航空戦の継続は、戦力の消耗のみ多く戦果は少なく
なっていく。 第2次大戦前のように「戦果も被害も大きかった。」
などと言う結果は、もはや起こらない様相だった。
米軍の物量航空戦略は大正解で、日本軍はまさに米軍の戦略、つまり
首脳部の判断と国力の前に敗北を喫した。
それに対して特攻攻撃が米軍に恐れられたのは、その「戦果」によって
ではなく、「突入するパイロットに対する畏敬」からであった。
つまり、居並ぶ首脳部などは米軍将兵にとって眼中に無く、突入して
くるたった1人のパイロットを全将兵が恐怖したのだった。

とても信じられない発言だが、軍令部で作戦を定める高官の発言がある。
「米第38機動部隊空母群を攻撃するに、2000機の特攻機を要する。」
「特攻機を出せば、たいていの機体は命中する。」
「訓練生でも特攻攻撃ならば実戦への投入が可能。」
まさに、「貴様が行け!」と言いたい!
この発言をした高官達で、後に特攻に参加した者は一人もいない!
訓練生までかき集めて2000機の特攻機を飛ばす力など、当時の日本の
どこにも有りはしない。 ましてや、それが「たいてい命中する。」なら
驚くべき事になる。
「2000機」と言う発言自体が、もはや「物量」の前では攻撃が至難の
技で有ることを物語っている。
しかし、よく言ったものだ。 私が考えても涙と怒りがこみ上げてくる。

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