その戦果3


悲愴な結末がある。
「湊川の戦」、勝てないと分かり切っている戦いでも、命令とあらば
征かねばならない、武人としての心。

1945年3月21日、海軍第七二一航空隊に攻撃が下令された。
第一神風桜花特別攻撃隊神雷部隊攻撃隊の一式陸攻18機が
15機の桜花を装備し、米空母部隊を目指し出撃した。
指揮官、野中少佐は独特のパーソナリティーを持っていたとされて
いるが、それについては割愛させて頂こう。
ただ、意外な程に家庭人としての一面もあったことはお伝えしよう。
また、「飛行長、湊川だよ。」「(桜花を見て)こんなもん兵器じゃねえ。」
「(桜花を評して)この槍、使い難し。」など、印象に残るセリフを
多く残している

航続距離が投下高度の3倍程度と言う桜花を突入させるには、一時的
にでも、戦場の制空権を確保しなければならないであろうことは素人
ですらわかる事である。
桜花搭載の一式陸攻が6000mで桜花を投下した場合、航続距離は
わずかに18kmである。
米軍のレーダーピケット網は200km以上先から、攻撃隊を捉えて
F6Fを誘導する。 18機の母機、15機の桜花を接近させるには
少なくとも72機の直掩機が必要とされた。
野中少佐が言い放つ。「直掩機が陸攻隊を守りきれると思うか?」

当日、72機発進する予定の直掩機は、前日の爆撃による被害や不調機
が重なり、55機の随伴だけとなった。


出撃前の、桜花を装備した一式陸攻。
「721」の部隊ナンバーが見えることから、神雷部隊所属の328号機であることがわかる。
おそらく、手前の車座に座っている搭乗員が、一機に乗り込むチームなのであろう。

次項
特集見出しに戻る