名機の弱点を見る


・F6Fヘルキャット

着艦寸前の秀逸な一葉。

・ちょっと違う、その認識。
F6Fは対零戦用の機体として、捕獲した零戦を研究・分析して開発された。
と、思っている方、多いのではないでしょうか?
開発時期などから考えると、それは違うと言えるでしょう。
米軍の手に初めて零戦が渡ったのは、1942年6月である。
F6Fの開発が始まったのは1941年6月である。
零戦入手の1年も前に、F6Fの開発は始まっていたのである。
零戦との戦訓は取り入れられているだろうが、1941年6月と言えば
日米開戦の半年も前である。
F6Fは主にヨーロッパ戦線の戦訓を取り込んで設計されている。
そして1942年7月には初飛行を終えて、11月には初号機がロールアウト
しているのである。 結果として、当面の戦う相手・零戦に対し、有利な戦いを
演じたために「対零戦用の機体」と思われがちだが、実際は零戦を研究してから
設計されたのではない。
米軍は零戦を捕獲する前から、F6Fを開発していたのである。
あ、欠点では無いな・・・。

・大きな機体とその影響

F6Fは第二次大戦中の艦載戦闘機としては、最大級の大きさである。
画像のパイロットと機体を見比べて頂くと、一目瞭然であろう。
とにかく、でかいのである。
またこの大きさの機体を艦載機として運用する為に、翼面積も大きく取る
必要が出てくる。 結果、第二次大戦中の単発単座戦闘機としては、最大の
翼面積を誇る事になる。
大きな機体と大きな翼、そして重い重量は、結果として速度の低下をきたす
原因となる。
同時期に同じエンジンを装備して開発されたF4Uコルセアが時速640km/h
をマークしたのに対して、F6Fは600km/h前後(型により変化)。
同じエンジンを装備しているのに、これ程までに速度差がついているのである。
もっとも、F4Uは本命の機体。 F6Fは保険機(F4Uの滑り止め)であった
事を考慮する必要はあるだろうが・・・。
更には、F4Uは水・メタノール噴射装置を付けていたが、F6Fの前期型は
同装置を付けていない。
(F6F−3N(夜戦型)及びF6F−5型から取付けている。)
それにしてもこの差は大きい。
F6Fは第二次大戦後、米軍ではすぐに引退したのに対して、F4Uは朝鮮戦争
でも活躍している事を考えれば、やはりF6Fの立場は微妙な所だ。
(他国が運用したF6Fは後年も活躍している。)
空中戦で時速30km/h速ければ、完全に有利な戦闘を展開できると言う。
13機の零戦が、重慶上空で中国軍戦闘機27機と交戦。
そのほとんどを完全撃墜して損失がゼロだったのは、20mmの威力もさる事
ながら、零戦の旋回性ではなく、速度差がその最大の勝因だった。
いくら零戦とは言え、複葉機と旋回戦に入れば、さすがに分が悪い。

次項

特集見出しに戻る