急降下爆撃


ドイツの初期の電撃戦の勝利の立て役者は、Ju87シュツーカであった。
ミッドウェーで日本の主力4空母を撃沈したのは、SBDドーントレスだった。
真珠湾奇襲の第一撃を放ったのは、九九艦爆だった。
当時の華々しい戦果の立て役者の一人は、まさに急降下爆撃機だった。
しかし、現在はもう急降下爆撃と言う概念は無い。 何故だろうか?
各国の急降下爆撃に対する扱いと共に見ていきたい。

急降下爆撃の方法。
次々に編隊を解いて急降下に移る爆撃機が、爆煙の中を超低空で退避する。
これらが一般的な映像・写真だろうが、1機の急降下爆撃機をずっと捉え続け
た映像はほとんど見た事が無い。
日本海軍における一般的な急降下爆撃の簡単な説明は以下の通り。
増速のため緩降下しつつ接敵。 高度2000mから45度以上の急降下に
突入。 高度500〜600mで投弾、引き起こし。 海面200m程を
高速で退避。 となる。
引き起こし時(当然急降下中である)の速度は時速450km/h以上にもなる。
少し操作が遅れれば直後には海面に激突する、紙一重の攻撃方法である。
スキーをする方ならおわかり頂けると思うが、45度斜面と言えば、もう
「壁」であり、60度に達すれば「垂直」と変わりない感覚である。

日本の場合
大戦初期、日本軍は編隊を解いて1機1機が順次突入する戦法を採用していた。
これは前機の投弾結果を見て投弾修正が行え、必要なら目標変更も出来、味方
同士の空中接触が防げる、などのメリットがあるにはあった。
しかし、連合軍艦船の対空砲火が密度・精度ともに上がってくると、非常に
被害が多くなり、危険分散の為に編隊全機が同時に1目標に突撃する形を採用
するようになった。
しかしこの戦法が採用された頃には、もはや急降下爆撃は完全に封じ込められる
事になってしまうのである。
緒戦、日本軍は急降下爆撃を艦隊攻撃戦力の中核の一つに据えていたが、末期
に至っては、急降下爆撃は実施できない攻撃方法となっていた。


日本最後の急降下爆撃機「流星」

アメリカの場合
日本海軍急降下爆撃隊を迎え撃った米海軍に於けるその扱いはどうだろう?
米海軍は終戦まで急降下爆撃を行ってはいたが、その活躍の度合いは終戦が
近付くにつれて落ちていった。 急降下爆撃で「狙う」ことが必要な戦術が
もはや必要なくななったからで、このあたりが日本軍との大きな違いだろう。
またフィリピン戦以降、空母搭載の航空機の比率が変更され、半数(以上)が
戦闘機とされた。 不足の定数を補うために、急降下爆撃機のパイロットの
多くが再訓練され、戦闘機パイロットに転身した。 それでも足りない分に
海兵隊のF4Uを搭載した。 明らかな「神風対策」である。
また艦載戦闘機の戦闘爆撃機化、雷・爆撃機の重点装備などもあり、その
あおりを喰った形で、戦場に於ける数自体が減少していったのである。
(政治的にグラマンの製品(海軍御用達)を、カーチスの製品(陸軍御用達)より
優先したと言うのはうがった見方に過ぎるだろうか? どうだろう?)


カーチス社最後の光芒SB2Cヘルダイバー


次項

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