航空雷撃
雷撃。 現在では対潜水艦戦闘か潜水艦からの対水上艦艇戦闘でしか使われ
なくなってしまった攻撃方法。 兵器としての魚雷の威力は凄まじいもので、
現在の主立ったフリゲート艦なら一撃で戦闘不能にしてしまう威力がある。
小型の艦艇なら竜骨(船の背骨)が折れ、あっと言う間に予備浮力まで失い
沈没させてしまう程で、まさに「轟沈」状態である。
それでも、今や航空雷撃は消滅しつつある。 残っているのは対潜攻撃機に
よる投下ぐらいで、「雷撃」と呼ぶには少々気恥ずかしい感がある。
しかし、第二次大戦中、列強の海軍は確かに雷撃を重視していた。
雷装の無い駆逐艦はほとんど無く、初期の頃は巡洋艦クラスでも多くが雷装
を持っていた。 そして何より、多くの空母が雷撃機を搭載し、それらの
機体が放った魚雷は多くの艦船を沈めた。
ほんの少し前迄、航空雷撃は国の威信を賭けた「槍」の一本だったのだ。
雷撃の方法。
雷撃とおぼしきスチール写真は良く有ります。 また映画などでは、航跡を
引く雷撃が良く見受けられ、爆撃よりも印象に残ります。
実際の雷撃を捉え続けた映像は見た事がありませんが、海面上数mの超低空
まで舞い降りた雷撃機が、水面を滑るミズスマシのように艦船に肉薄。
水面に落とされた必殺の魚雷の雷跡が白い筋を引いて伸びる。
標的とした艦のマストにぶつかりそうな高度を雷撃機が飛び抜けた瞬間、
雷撃機の最後部で旋回銃を構えた電信員は、巨大な水柱が立ち上るのを見る。
と、言った所が一般的(?)なイメージだろうか。
では実際の雷撃はどのようなものだったのだろうか。
実際は、標的から1000m程の距離で魚雷を投下するのが基本とされていた。
投下高度は10m程度とされていたが、実際は40〜50m程の高度から投下
されていたようだ。(日本軍) その高度でも危険な低高度なのだが・・・。
高速機であまりに低空から投下すると、魚雷が水面へ突入する際の角度などに
悪い影響が出たと言う。
投下距離や高度も、やはり各国、機材、によって違ってくるが、艦船の寸前で
魚雷を投下することはまず無い。 魚雷の構造上、無理なのである。
また退避方法も、日本軍は目標上空を飛び抜けるような軌道を描くのに対し
米軍は投下後すぐ、目標より手前で旋回して艦砲の射程外へ退避する方法を
採用していた。 距離1000mで42ノットの航空魚雷を落とす日本軍は
物理的な命中率は良くなるが、旋回して退避するだけの余裕が無いのである。
米軍は2000m位の距離で投下したらしく、高度も日本軍に比べて高かった
為に(100m位)、旋回退避するだけの余裕があった。
日本の場合
酸素魚雷。 日本軍をご存じなら必ず知っていると思います。 世界レベルの
群を抜く日本軍の最優秀兵器の一つ。
しかし、駆逐艦などに搭載された九三式61cm酸素魚雷は航空機には搭載
されていない。 航空機用には一般的な45cm魚雷を航空機用に手直しした
魚雷が使われた。 それでも様々な工夫の結果、飛び抜けて優秀な所があり、
浅深度魚雷の開発と、投下時の魚雷の回転を抑制するジャイロの性能は非常に
優秀であった。
特にこの浅い深度でも使用可能な魚雷の威力を発揮させ得たのが、真珠湾奇襲
時の九七艦攻による港湾内雷撃である。
本来、投下された魚雷は海面から50m以上沈んでから、設定された深度に浮上
してくる。 ゆえに水深15m程度の港湾内は安全だったのである。
浅深度魚雷はこの常識をくつがえした。
大戦初頭に気を吐いた艦上雷撃機だが、中盤以降は制空権確保の難しさから
その行動領域が急速に狭くなり、空母が作戦行動しにくくなると、一層活躍の場
がなくなっていく。 最後には多くの「艦上雷撃機」が「陸上雷撃機」として
運用されたのだが、新鋭機「天山」が配備されても初頭の輝きは戻らなかった。
一式陸上攻撃機や銀河などの双発機も雷撃を敢行している。
開戦初頭のマレー沖海戦がことさら有名。 しかしながら双発機の雷撃による
華々しい戦果はこの一例くらいであって、実際は中盤以降の時期の夜間雷撃が
主力だった為に損害が大きかったのも事実である。 確かに迎撃機が上がって
来ない分、昼間雷撃よりマシではあったのだが・・・。
複葉羽布張固定脚の九六艦攻から、一気に全金属製低翼単葉引込脚の九七艦攻へ。
日本の艦上機で最も急速に近代化した機種が雷撃機だった。
次項
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