夜間戦闘(重爆迎撃戦闘)


夜間戦闘自体は現在でも常用されている戦術の核の1つである。
現在はレーダーや暗視装置、各種電波や電子システムを用いて、昼間と
変わり無い程の正確さで攻撃でき、目標位置、現在位置、帰投方向まで
全てが把握できるようになっている。
しかし当時の夜間戦闘はそれ自体がまだまだ大きな危険を伴っていた。

重爆によって大規模に都市を焼き払われた国は2つある。
ドイツと日本である。
電波兵器の発達したドイツであっても数百、時には1000機に達する重爆の
迎撃は不可能であった。 それでも当時の夜間戦闘においては最高のシステムを
構築していた、ドイツの代表的な夜間戦闘の方法を見てみたいと思う。

日本ではそれほど有名では無いと思うが、ドイツの夜間戦闘の体制を構築した
のはヨーゼフ・カムフーバーと言う、後のドイツ夜間戦闘機兵監である。
攻撃一本槍の独裁者のもとで、防御的戦術である防空とその最たるものである
夜間戦闘の為の施設の構築を主張するのは、かなりの難事だったであろう。
それでもカムフーバーは2つの初期の迎撃方法を確立した。
「明るい夜間戦闘」と「暗い夜間戦闘」と言われるその戦法は、思いつくより
実行段階での障害が遙かに多かったに違いない。
「明るい夜間戦闘」とは変な感じがするが、内容を知れば「なるほど」である。
初期の小規模なイギリス空軍の夜間爆撃を阻止するのは、戦闘機を上げて後は
たまたま敵機にでくわす偶然を頼るしかないと言う程度のものであったが、
その代わりにドイツには多数の高射砲や機関砲が配備されていた。
しかし敵機を捉える為のサーチライトは少なかったのがアンバランスな所だ。
カムフーバーはイギリス空軍機の主要侵入コースである3カ所について、
幅45km、奥行き22kmと言う大きな規模で、直径150cmものサーチライトを
配置したのである。 サーチライト網の最前方には聴音機群を配置。
聴音機で敵機の接近を捉え、サーチライトの網で上空を照らし出し、それに
捕捉された敵機を夜戦で叩く訳である。 この網を逃れた敵機は、目標上空でも
サーチライトと高射砲の迎撃を受ける事になる。 味方夜戦は高射砲の誤射を
受ける心配が無いと言うオマケ付きである。


初期のドイツ夜戦の中核Me110。 複座機ゆえ夜間航法に
優れ、鈍重な機動性も爆撃機相手では十分だった。

ただ、この網は曇天時には役に立たず、照射時間も短いと言う欠点があった。
敵機が斜めに通過して60kmを飛ぶ間照射を受けたとしても、400km/hで
飛ぶとすれば、照射を受ける時間はわずか9分。 この間に敵機を目視で捉え
方位、高度、速度を合わせ接敵するのはかなり難しいであろう。
また敵機が侵入コースを変更すればそれまでである。
そこでそれに変わる「暗い夜間戦闘」が登場する。

「暗い夜間戦闘」の内容はいわゆるレーダー迎撃戦闘である。
ようやく実用化されだしたレーダーが敵機を捕捉し、地上の管制官が上空の
夜戦を無線で誘導、夜戦が接敵して撃墜するというものである。
この頃のレーダーは現在の物の様に高性能ではない。 見上げるほど巨大な
アンテナを用いてもようやく敵機1機を追尾できるだけである。
味方も誘導しなければならないので、レーダーはもう1基必要となる。
さらに遠距離で敵機を捕捉する警戒レーダーが必要になるので、合計3基の
レーダーが必要となり、規模と手間のわりには効果に疑問が残る。
それでも現在のレーダー迎撃網の元祖には違いない。 これが数年の後には
驚くべき進化を遂げるのである。


初めてレーダー迎撃によって夜間撃墜を果たしたDo17

「暗い夜間戦闘」による海岸線以遠での迎撃、「明るい夜間戦闘」による内陸
での迎撃、そして主要目標での高射砲迎撃、これらが初期のドイツにおける
夜間戦闘のパターンであった。


次項

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