Ar234 ブリッツ


1943年6月、ドイツのライネで史上初のジェット偵察機が進空した。
1940年に計画が持ち上がってから、エンジンのJumo004の完成品が
届く1943年2月まで、テストすらできなかった関係者には嬉しい瞬間で
あったろう。 この機体には車輪がついておらず、離陸時は専用のドリー
に乗り、着陸は胴体下面の橇を使う方法が採られていた。
もちろん着陸後は自力では動けないが、偵察機と言う性格上大きな問題
にはならなかった。 それよりも胴体内にできるだけ多くの燃料を積める
ようにとの配慮(?)であった。
燃費の悪いジェットエンジンを満足させるだけの燃料を搭載し、その上
航続距離を稼ごうと言うのであるからランディングギアのスペースまで
燃料タンクにしていたのだ。 しかし速度も優先させる条件に鑑みて、
主翼は極力薄く作られ燃料を入れるスペースなど、どこにもなかった。
思い切り過ぎた設計と言えよう。
回収用のパラシュートが開かず、投棄されたドリーが損傷する事故が
2度あったが機体には問題無かった。 それ以降のテストからは、滑走
中に機体とドリーを切り離すよう飛行マニュアルが訂正された。
とにもかくにもAr234の試作機は戦争もたけなわのこの年にようやく
大空にはばたいた。


切り離されたドリーから出ている回収用パラシュートが確認できる。

これらの試作機は8機製造され、うち4機は同型、1機はエンジンを
BMW003に換装し4発機とした機体、さらに1機はそのBMW003
2基を1つのポッドに入れた型。 そして2機はエンジンを改良新型で
あるJumo004Bに換装した実戦型である。
折りしも連合軍がノルマンディーに上陸したことから、連合軍地上部隊の
動きを手に入れたいドイツではあったが、ヨーロッパ上空の制空権は
連合軍が掌握しており、従来のレシプロ偵察機ではとても生還は望め
なかった。 そこで、実戦型に改装されたV5(試作5号機)とV7(試作
7号機)、訓練を受けたベテランパイロット2人をもって、初のジェット
偵察部隊が発足した。 7月にはフランス東部ジュバンクールにゾンマー
中尉の駆るV7が進出。 8月にようやく支援機材が到着し出撃が可能と
なった。 8月2日、Ar234の初めての実戦行動は連合軍が占領した
ノルマンディー地方の偵察だった。
高度1万mを高速で飛びぬける新型偵察機に、連合軍レシプロ戦闘機
群は全く手が出なかった。
しかしAr234の胴体後部に備えられた2基の大型偵察カメラが写した
ものは、ドイツを圧倒する物量と、それに裏打ちされた戦力による
怒涛のような進軍。 そして防衛するドイツ軍の壊滅した様子であった。

同日、エンジントラブルで出遅れていた指揮官ゲッツ中佐のV5も3機の
Ar234を率いて追及してきた。
8月末に同隊に対して後退命令が出るまで、13回の出撃が繰り返された。
後退命令により基地を移動するため飛行していた隊長ゲッツ中佐機は
後退先の基地の対空砲火を受け機体が深手を負った。
機首を手近の基地に向け、損傷した機体を高速のまま着陸させた中佐も
傷を負い、しばらくは飛行作業ができなかった。


これでもAr234にとってはまともな着陸の風景。
時速700kmをオーバーし、翼面加重300kgオーバーの高速機
の胴体着陸は、現在のグライダーの胴体着陸とは訳が違う程危険。


次項

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