Me163 コメート


1928年、アレクサンダー・リピッシュ博士は当時としては変わり種の
カナード式のグライダーの飛行に成功した。 ほどなく無尾翼機の
設計に着手し、1936年にようやく従来機と同じ安全性が確認された。
主翼と垂直尾翼しか持たない機体構成は、従来機の常識を覆すほどの
可能性は秘めていたものの、実戦に参加した無尾翼機は後にも先にも
Me163だけなので、やはり見た目通り危なかしく思えたろう。
それでも、機体全長の短縮による表面抵抗の減少、尾翼による抗力を
排除できる、などと良い事づくめに思える機体形状に魅力を感じ、
その極限を追い求める無尾翼機の鬼・リピッシュ博士に朗報が届く。
ワルターロケットエンジン開発・実用化近し、の報である。
1938年末、ドイツ滑空飛行研究所(DFS)を辞めたリピッシュ博士は
今をときめくメッサーシュミット社に迎え入れられ、L局と言う部署を
与えられた。 Lはリピッシュの頭文字である。
メッサーシュミット博士としても、自社で世界最速の航空機が製造される
事に非常な魅力を感じており、リピッシュ博士とその一門にしても
DFSよりもメッサーシュミット社の方が高給と言うオマケが付いた。
ここでDFS時代に設計した無尾翼グライダーDFS194を原型とする
ロケット機の設計に入った。 グライダーを超高速迎撃機に変身させる
のであるから尋常ではないが・・・。 こうしてMe163の生まれる土壌が
出来あがっていった。


リピッシュ博士のDFS194。 すでにMe163の面影が濃い。

ワルターロケットエンジンが出来上がる前に、試作機のMe163Aが
製造された。 1940年内にMe163Aの機体が数機完成した。
どの文献にも数機としか出典されていないが、テストパイロットが滑空
試験を繰り返した機体がV4であり、1941年8月に初めてロケット
エンジンが取り付けられたのもこの機体であることから、この時点で
4機は完成していたようだ。 ちなみにV2とV3は強度試験用として
破壊されている。 ちなみに、エンジンを搭載していないこのV4は、
急降下試験において実に900km/hに達する速度を記録している。
また8月に推力750kgのHWK−RU203エンジンを搭載したV4は
同月、初めてドリーを用いて地上からの動力発進に成功した。
Me110に曳航されてしか飛べなかったMe163Aは、初めて自力で
羽ばたいたのだ。 シャープ発進と称される、通常のレシプロ機では
不可能な、発進後の急上昇は45度の角度に達しつつも、いまだに
加速を維持していたと言う。
そしてMe110に曳航され、空中でエンジンを点火しての話ではあるが
10月には高度3000m〜4000m間で時速1000km/hを突破した。
もちろん当時としては前人未到の奇跡の速度である。


Me163A−V4。 DFS194から発達したがより163Bに似ている

これ以降、B型が完成してもしばらくは163Aも試験飛行に従事する。
ワルター社の技術者が念に念を入れ組み上げたHWK−RU203
エンジンと、リピッシュ博士が心血を注ぎ入れた機体、そして腕の良い
テストパイロットの組み合わせは、この驚くべき危険なロケット機の
初期の飛行テストをほぼ無事故で飛ばし続けた。
Me163の受難は、B型から出てくる事になる。


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