橘 花
実用実験段階では様々な問題が発生した「ネ20」ではあるが、これが
「橘花」の装備エンジンに決定した。
機体のほうは中島飛行機が製作していたが、大きな問題も無く進んだ。
材質の変更や、予定エンジンを「ネ12」から「ネ20」に変更されて
重量が大きくなった事などがあったものの、大きなつまづきにはならず
設計は進んでいった。
途中B29の空襲激化によって疎開を余儀なくされたのが大きな障害で
疎開先では養蚕小屋(生糸を作るための蚕(かいこ)を飼う為の小屋)で
機体を作らねばならない状況だった。
それでも機体構造の簡略化やサイズの小型化などがなされている。
また、陸上機にもかかわらずエンジンより外側の主翼部が上方に折りた
ためるように設計されている。 防空壕への格納なども考慮されたから
で、当時の日本の苦しさを物語っているのではなかろうか。
養蚕小屋といっても大きな物がドカンとある訳ではなく、小さなものが
まばらに点在しておりそれぞれが機体工場になっていた為、機体の部品が
完成すればそれを集めに回らなければならない。
それも、今のように道路事情は良くなく、米軍の小型機に制空権を握られ
た中での移動である。 それだけでも苦労と危険は計り知れない。
昭和20年6月25日(30日?)、1号機がついに完成した。
緩い後退角を持った強いテーパーを持つ主翼は兄貴分Me262に似ており
断面はP51や紫電改と同じ層流翼形式。 翼端には2度のねじり下げ角が
付き、固定スラットと共に大迎角時の失速特性の向上を図っている。
引き下げ式フラップ作動時は共にエルロンも下がるようになっており、
現代のデルタ翼機に見られるフラッペロンのような働きをもたらせたもの
と思われる。 さすがにまだまだ運動性を捨てきれないお国柄であるが
設計段階では離着陸性能の向上を狙った装備だったのだろう。
主車輪はゼロ戦の物を、前輪は銀河の物を、それぞれ流用した。
物資困窮と見るか部品の共通(量産性の向上)と見るか微妙だが、前輪式
の機体設計による地上姿勢と、プロペラが無い事から低く抑えられた地上
とのクリアランスなど、非常に精悍な印象を受ける機体に仕上がっている。
エンジンがネ12からネ20へと大型化された為に離陸滑走距離の短縮や
爆弾等裁量の増量が図られた試作機は、一旦分解され元々設計製作をし
ていた中島飛行機小泉工場へ運ばれ組み上げられ地上試験が行われた。
そこから再び分解して海軍の木更津基地に運び込まれた。
ここらへんの手際の悪さが、いかにも日本らしいところである。
離陸前の点検を受ける橘花。 操縦席の人物は技術者のように見える。
木更津基地での入念な地上試験の間に、エンジン圧縮機の破損や燃料
噴射系のトラブルがあったものの、昭和20年8月7日にようやく初飛行に
こぎつける事が出来た。
初飛行を担当するのが海軍飛行実験部でも練達の高岡中佐。 艦攻乗り
から艦爆乗りを経て飛行実験部に入り、後任者が次々と戦死していく為に
なかなか飛行実験部から転出できず、長く実験飛行の経験を積む事が
出来た特異な経歴の持ち主である。
午後1時、ジェットエンジンのタービン音を残して橘花試作1号機は飛び
立った。 機体重量を軽くする為に燃料はわずかしか積んでおらず、脚を
出したまま、高度600mの東京湾上空で10分程の飛行を終えた。
振動が少なく、エンジン音も静かであったと言う。
最大推力を出さなかった為に速度は300km/h程しか出なかったが
日本製のジェット機が初めて進空した。
4日後の11日、2度目の飛行が実施される運びとなった。
内々で行われた第1回目の飛行と違い、お偉いさんを呼んでの公式飛行
である。
10日に米第38機動部隊の艦載機が木更津基地に銃爆撃を敢行したが
掩体の中にあった橘花は無傷で11日を迎える事ができた。
橘花には離陸補助ロケット噴射装置が装備される事になっていた。
機体の構造上、この補助装置は機体推力の中心線からかなり下に取り付
ける事になっていた。 しかも1本あたり800kgの推力が出る。
推力の中心からあまりに下過ぎると、推力が機体を持ち上げてしまい
機首上げ姿勢になる恐れがあった。
高岡中佐はゼロ戦の部品を流用した足回り、特にブレーキの強化と共に
この推力線の改修を訴えていたが、そのための時間はまったく無くこの
日を迎えた。
2回目の試験で離陸滑走する橘花。 既に前輪がかなり地面を離れており
機首上げ姿勢の滑走である。
午後3時、離陸を開始した橘花は直後に補助ロケットを点火。
その瞬間機首上げが起きた。 機首が起きたまま補助ロケットが切れた
ら失速してしまう。 機首下げの為に操縦桿を前に倒す。
約10秒後に補助ロケットが停止。 いきなり推力が減少した上に機首
下げの操作をしている為にわずかに地上を離れていた機体が、前輪から
接地し、すぐに主車輪も接地。 パンクか何かのトラブルで前輪に
衝撃が加わったと判断した中佐は即エンジンカットを操作。
フルブレーキの操作をするが、海に向かってわずかに下がっている木更津
の滑走路で、非常な高速機をゼロ戦でも効きが悪いと言われたゼロ戦の
ブレーキでは止め切れず、オーバーランして海岸線に突っ込んだ。
次項
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