He162


1944年9月10日、ドイツ空軍省はお抱えの航空機メーカーに対し
「緊急軽量戦闘機計画」なる計画を指示。 設計案を提出するように
命じた。 わずか3〜5日の間に、である。
いわく、物資の利用を最小限に抑える事。 時速750km/h以上。
滑走距離500m以内。 航続時間30分。 機関砲2門。 エンジン
BMW003A(ジェットエンジン)1基。 3ヶ月以内に原型機を完成
させる事。 製造は容易である事。 未熟パイロットでも操縦できる事。
全ての敵機より高速で機動できる事。 云々と言う内容である。
無茶なスケジュールと内容であるが、何とメッサーシュミットを除く
7社が設計案を提出。 2次審査まで残った4社の内からハインケル
案P1073が採用された。
1944年も秋を迎え、連合軍の昼夜を問わない戦略爆撃の結果
ようやくMe262が戦闘機型としての生産を許可された時期である。
戦前より空軍省から冷遇され続けたハインケル社の最後の意地の
見せ場だっただろう。
ハインケル社の2名の技術者を中心に11月5日に設計図が出来
上がり、12月6日には試作機が飛び立った。


He162試作機1号機。 リピッシュの耳、と呼ばれる特徴的な
主翼端の下げがまだ無い。 この機体は安定性が悪かった。

背中の単発ジェットの排気に当たらぬよう双垂直尾翼形式を採用
した結果、尾翼の生み出す慣性モーメントが大きくなり、その力を
小さな主翼では御しきれなかったのである。
Me163の開発者リピッシュ博士のアドバイスにより、安定性確保
の為に、試作2号機以降は主翼端に小さな下げ部分が取り付けら
れた。 リピッシュの耳、と呼ばれ、後の欧米ジェット戦闘機の設計
にすら影響を与えたと言われる、小さな大発明(?)である。

それに先立つ12月10日、試作1号機がヒトラーを初めとする高官
の前での御前飛行で空中分解、墜落。 平時なら即開発を停止し
原因を究明する所である。 下手をすれば、計画自体がお流れに
なってしまう事態ですらあるが、当時のドイツはそうも言ってられ
ない状況だったので、開発は強行された。
あまりの短期開発の為に、試作機であるにも関わらず機体の作りが
乱雑気味となり、木製部分の接着も不十分だった事らが原因だった。

12月22日には試作2号機がロールアウト。
予定されていた30mm機関砲は、連合軍の爆撃で生産の目処が
立たず、やむおえず20mm機関砲に換装され生産に入った。
ハインケル社の他にユンカース社も製造を支援し、木製部品の
調達の為には家具工場までが動員さた。



次項

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