西部戦線1
1940年5月10日、本当の電撃戦が始まった。
ヒトラーの号令一過ドイツ空軍の先鋒が、中立を宣言していた
フランス北方のオランダとベルギーに襲いかかった。
両国の航空戦力を合わせても、兵力はドイツの10分の1。
しかもほとんどが旧式機だった。
早朝から始まった空襲で、オランダの航空兵力の大半は壊滅。
その日のうちにオランダの女王はイギリスに亡命した。
ドイツの圧倒的制空権の元で、国家総指揮官不在の陸上兵力
の抵抗もわずか6日で終了した。
国家規模に比してオランダの航空技術や生産能力は高く、
これを押さえる必要性もあったのだと言う。
オランダは新鋭機フォッカーD21やG1を揃えてはいたが、
Me109を筆頭とするドイツ空軍機の前には、あまりに脆弱
だった上に、絶対的に数が不足していた。
フォッカーD21。 フィンランドでは対ソ戦の冬戦争で大活躍
した本機だったが、本国オランダでは抵抗もままならなかった。
フォッカーG1。 一見「何となくいいんじゃない」って感じ。
実際にはわずか23機と少数過ぎた。 また小口径機銃しか装備
していないなど、Me109とまともな喧嘩は出来なかった。
ベルギーも、対ドイツ用に強力な要塞を構築していた。
エバンエマール要塞。 フランスのマジノ線ほどではないものの
渡河点を阻塞する強力な要塞である。 5月10日未明、Ju52
に曳航されたDFS230グライダーの一群が要塞へ降下。
わずかな兵力でエバンエマール要塞を無力化させた。
反撃を試みた要塞砲は、無線で呼ばれたJu87に叩かれ以後
沈黙。 ドイツ陸軍本隊が到着するまでの間、要塞は完全に
その機能を封殺されていた。 ドイツ陸軍は抵抗を受けずに
渡河点を通過し、11日にはベルギーに侵入する事になる。
ベルギーの空軍もオランダと大同小異であった。
主力はイタリア製CR42複葉機。 複葉にしては良好な性能
であるものの、Me109を相手にしては無理があった。
初期型のハリケーンやグラジエーターなどの買い付けにも成功
していたベルギーだが、いずれも20〜30機と少なく、戦力と
しては脆弱すぎた。
またドイツ地上軍を阻止する為に攻撃に出たバトル軽爆撃機も、
He111にすら撃墜される機体もあったと言う。
CR42複葉機。 開発時期が新しいため複葉機としては高性能
だったが、劣速な上に数量不足、ましてや相手は精鋭の操る
Me109である。 ちょっと無理。
イギリス製バトル軽爆撃機。 機体形状はともかく、最高速度は
わずかに390km/h。 Me109どころかHe111よりも劣速
なのである。
フェアリー・フォックス複座戦闘機。 損害のみ多く戦果は上がら
なかった。 フランスへの脱出後は決死的偵察を敢行した。
ベルギーは、あわてたイギリスやフランスのテコ入れもあり、
オランダよりも幾分かは長持ちした。しかし5月16日以降は
残存全航空兵力をフランスへ後退させ、28日に降伏した。
次項
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