ラバウル航空戦
TV映像を見る限り、現代戦では戦争の第一撃がどんなものかは湾岸
戦争やイラク戦争がよく体言していると思う。
戦力を集めて、一気にドカン。 これで勝負が付くようだ。
しかし、実は戦争前からとんでもない量の物資が投入されている。
湾岸戦争時、米軍は戦争前5ヶ月間に軍用機、軍用艦だけでなく民間
機、民間船まで動員して膨大な人員や物資を輸送している。
前線が必要する食料、水、燃料、弾薬の量は、歩兵師団でも1日で
3000t(え!)。 機甲師団だと7000tにもなる。(え!!)。
1日で、である。
しかもその師団が前線だけでも何個もあるのだ。
航空基地や陸上集積地などの後方支援組織が必要とする物資まで
合わせれば、いったいいくら必要になるのやら・・・。
いわばこれだけの物資が無いと、あの短期間で終わったイラクでの
戦争も、実は遂行できかねる事になったのである。
これだけの用意ができるからこそ戦争に踏み切ったのであろうが、今と
なっては大きな負担になっているのは間違いない。
それでも米軍の輸送力は第2次大戦時から現在まで恐るべきものだ。
近代戦、補給力の戦い
ミッドウェー海戦を、太平洋戦争のターニングポイントとするならば、
日本軍の敗北を決定付けた最初の一手が、ラバウル方面をはじめ
とする南方方面である事は間違いないであろう。
今まで目を通した日本軍関係者の出版物の全てで、ラバウル方面
での苦戦が如実に語られている。
なぜそれほどまでに苦戦していたのか。 それが前線に対する後方
からの補給の有無が原因であったのは確かである。
ラバウルは南方方面での日本軍の要衝で、特に陸海軍航空部隊に
とっての南方最大の拠点であり、ここを起点として様々な航空作戦が
展開された。
特にラバウルから南東方面に行くとブカやブインと言った前線基地、
更に進むと、忘れてはならないガダルカナル島がある。
日本からラバウルまでは遠い。 逆に連合軍補給基地オーストラリアは
かなり近い。 遠くまで物を運ぶのと、近くまで物を運ぶのと、どちらが
大変そうなのかはすぐにわかる事である。
航空機も当然ながら、燃料や弾薬が無ければ役に立たない。
部品が消耗すれば交換しなければならないし、搭乗員にも地上員にも
衣食住を確保しなければならない。
しかも1ヶ月ほどの話ではない。 半恒久的にである。
(結局ラバウルは昭和17年1月に日本軍が占領して以来、終戦時まで
日本軍が保持していた。)
日本軍はとにかく補給への配慮が非常に悪く、そもそも輸送船や輸送機
の戦力は連合軍とりわけ米軍とは比較にもならなかった。
航空機に関しては燃料・弾薬以外にも、航空機自体の補給も必要だった。
航空機も兵器である以上は消耗品である。 しかも占領期間を考えると
半永久的に消耗を補充していく必要がある。
生産自体が国力によって制限されている上に、それを輸送する手段も
心もとなく距離も遠い。 また国力に比べて恐ろしく広い、しかも膠着
した戦線を抱えているのであるから、冷静に考えれば絶望的だ。
そんな中でラバウルだけに潤沢な補給が続くとは考えられない。
ラバウルの日本軍 と ガダルカナルの米軍
戦闘をすれば必ず損害が出る。
その損害をすぐに補給しなければ、次の戦いは少なくなった戦力で戦わ
ざるおえなくなる。 そうすれば更に損害が増えて、相手への打撃力は
弱くなるという悪循環に陥る。
純粋に、当時の日本軍はよく戦ったと思う。
空戦では威力の減じかけた零戦を駆って、米軍の新鋭機を相手に連日
出撃を繰り返し、戦死するまで帰れないと言われるほどだった。
対する米軍は、新鋭機に乗った訓練された搭乗員。
それが交代制で戦場に出てくるのである。 前線で一定期間任務に就け
ば、後方(主にオーストラリア本土)に下がり休養を取れる。
そしてリフレッシュしてまた前線に戻ってくるのである。
この状態で戦わされたのだから、日本軍が互角に戦えた事が不思議だ。
人の休養もまた補給の一環である事は間違いない。
次項
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