日本近海の戦い



太平洋は島の奪い合いであったと言えるだろう。
海では明確な「戦線」と言うものが存在しない場合が多い。
地上戦では、例えば地形などに応じて兵力を配置する為に
明確な戦線が構成されるが、海上では「このラインが陣地」
と言うような事は無い。 戦線は非常に流動的だ。
言い換えれば、攻撃側の意思によっていつどこで戦闘が
起きるかわからないのだ。
いつどこで戦闘が起きようとも、海でも制空権が必須である
ことは言うまでもない。
攻めるにせよ守るにせよ制空権が重要となれば、当然それ
を確保するための要素が必要となってくる。
それが空母であり、それを中核とした機動部隊だ。


当時の米海軍の名空母エンタープライズ。
序盤から終戦まで、ほとんどの空母の戦いに顔を出した。
終戦間際についに特攻機の攻撃を受け、終戦時にはドック
入りしていた。 日本軍からは目の敵にされていた。


当時、米海軍はまさしく世界一強力な空母機動部隊を擁し
日本軍の空母は壊滅状態であった。
それでも日本軍は、陸上基地航空隊によって米機動部隊を
撃滅する算段でいた。 その主力が特攻攻撃である。
昭和20年に入ると、ついに日本の前庭に米機動部隊が
姿を現した。 2月14日硫黄島南方。
硫黄島の海軍航空部隊はまさに鎧袖一触で蹴散らされて
制空権は米海軍の手に帰する。
特攻を主力として日本軍も即時反撃を繰り出すが、多勢に
無勢どころの話ではない。 
20日には第二御盾隊の主力が出撃。 米海軍に打撃を
与えたものの、存在する空母の総数よりも特攻機の方が
圧倒的に少ないのだからどうにもならない。


特攻の主力とされた彗星艦上爆撃機。
戦争中盤の高性能機も、末期には運用が難しくなっていた。
第二御盾隊は陸上基地に配備されているものの、実は艦隊
航空隊の精鋭であった。


陸上基地 対 空母機動部隊 の戦いに於いて、基地側の
優位な点はほぼ無限の耐久力である。
いくら爆弾で穴を開けられても修復さえ出来れば滑走路は
使える。 補給さえ続く限り恒久的に使用できる。
対する空母機動部隊は、もし空母を沈められたら終わりだ。
しかし明確な戦線の存在しない海戦では、空母機動部隊は
好きな場所に移動できる。 陸上基地と違い、その存在する
場所がわからないのだ。 また好きな時に好きな場所に現れ
任意に攻撃をかけられ、不利となれば逃げればよい。
この優位さは何物にも代え難い。


エセックスに着艦寸前の艦載機から撮影された一葉。
甲板中央に展開されたバリアーが緊張感をあおる。
陸上基地の滑走路と違い、この狭いエリアに降りるのだから
空母及び艦載機側の苦労も相当なものだっただろう。




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