アフリカ戦線


ロンメル率いるドイツアフリカ軍団は1941年2月にトリポリに
上陸した。 間もなく空軍も兵力を振り分けはじめる。
Me110、Ju88を主力として展開すると共に、4月には制空権
確保の為の本命Me109を派遣した。


Me109F−4/trop。
E型に比べ空力的洗練が図られ、機体は完成の域に達している。
スピンナーはMe210からの流用。 主翼も再設計され、ラジエター
位置も変更。 エンジンはより高性能のDB601Eを装備。
F−4型の中でもtropタイプは過吸気前方に防塵用フィルターが
付いており、Me109の北アフリカ仕様とも言える機体。
同様の防塵フィルターはMe110も装備した。

イタリア空軍が苦戦したイギリスのグラジエーターを簡単に駆逐し
制空権をドイツのものとしたMe109。
それに対抗するためイギリスもハリケーンやレンドリースのP40を
投入してくる。


ハリケーンと共に砂漠戦に投入されたP40。
しかしMe109相手には分が悪く、後にスピットファイアが投入
されるまで、空での戦いはイギリスに分が悪いままだった。


英独両空軍が戦力を強化していく中、イタリアも戦力の刷新を図る。
新鋭のMC202戦闘機を投入。

こうして空の戦いは、新型機の投入と消耗を否応無く各国に強いた。
砂漠戦は海戦と同じく戦線が非常に流動的で、固定された戦線は
多くない。 一度部隊が動き出せば探すのも一苦労である。
もちろんそれを探す最も合理的な手段は航空偵察である。
そしていざ敵軍と交戦となれば、支援戦力は航空戦力の一手引き
受けとなる。

しかし陸上の兵力も含め、ドイツ軍は常にイギリス軍の半分の兵力
での戦いを余儀なくされた。
1942年7月には、戦勢の大転換となるエル・アラメインの序曲が
奏でられる。  戦車の戦闘と思われるこの戦いは、上空を多数の
戦闘機が舞う中で行われた。
同年9月末にはアフリカの星と呼ばれた、マルセイユ大尉が戦死。
さらに10月、補給の途切れたロンメルはついに戦場からの撤退を
決意することになる。
陸上兵力に関しても、航空兵力に関しても、ドイツの補給線は伸び
切ってしまっていたのだ。



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