西部戦線2
第2次世界大戦への火蓋を切ったドイツが仕掛けた西部の
空の戦いは、1940年後半のバトルオブブリテンでドイツの
攻勢が頓挫するや、すぐにドイツ夜戦対イギリス爆撃機の
戦いとなり、1944年のノルマンディー上陸以後の空の戦い
へと続く。
ノルマンディー以降、西部戦線ではまたしても単発機同士の
激しい制空戦闘が繰り広げられる事になる。
ノルマンディー戦で連合軍の攻勢を食い止め海に追い落と
す予定だったドイツが、作戦の始まったその時に集中できた
航空戦力はほぼ皆無。 防衛戦力JG26の指揮官である
オーベルスト・ヨゼフ・プリーラー中佐が上位組織に対し
「敵上陸必至、航空戦力を集中するよう」に進言をするも
「天候悪化につき上陸は無し」との返答。
戦力を後退させていたJG26に残っている戦力はプリーラー
中佐とハインツ・ヴォダルツィク准尉の2機のみ。
上陸開始の瞬間、迎撃した戦闘機はこの2機のみである。
西部戦線の新たな制空権争いの開始としては、あまりにも
不釣合いな戦力である。
遠方の為に画像が粗いものの、ノルマンディーで迎撃した
2機のFw190A−8。 史上最大の上陸軍を相手にわずか
2機で飛び立つパイロットの心境や如何に・・・。
イギリスのスピットファイアは、お世辞にも航続距離が長い
とはいえない。 バトルオブブリテンでは、自国上空の戦い
であった上に、同じく航続距離の短いMe109を相手にして
いた為にこの欠点は露呈されなかったが、攻勢に出る段階に
なるとスピットの運用は厳しくなった。
ノルマンディー以降、ヨーロッパ西部に続々と簡易飛行場が
建造され、アメリカ製のP51やP47などが配備され出す。
こうして西部戦線の制空権争いの第2幕が切って落とされる。
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