北欧1



日本人には全く馴染みの無い、北欧の戦いがあった。
ドイツがポーランドに侵攻し、それに乗じたソ連もポーランドの半分
を合併した頃、ソ連は恫喝外交によってバルト3国をも併合してのけた。
共産主義革命とその後の孤立政策、そしてこの恫喝外交によって、ソ連は
国際連盟からも除名された。 いわゆる西側諸国が懸念の声明を発表した
ものの、実事のない声明ではソ連軍を止める事はできなかった。
バルト3国で気を良くしたソ連は、さらに北西の隣国フィンランドに対しても
同じ手段に打って出た。
ところがバルト3国と違いフィンランドは至極真っ当な対応を取った。
つまり恫喝に応じなかったのである。
ソ連軍は大量の兵力をフィンランドとの国境に終結させた。

戦闘はソ連軍の空爆から始まった。
フィンランド政府が自国軍に戦闘配置の指示を出していた頃、ソ連爆撃機
が国境に近い都市を爆撃。 遅まきながらフィンランド空軍もこれを迎撃。
北欧の空の戦いが幕を開ける。


当時のフィンランド空軍主力機。 オランダ製のフォッカーD21
フィンランド国内でもライセンス生産された。
赤軍粛清により指揮と錬度の劣悪なソ連空軍に対し、非常に善戦し
わずかな機数の本機がフィンランドの制空権を確保した。
固定脚の先端には、雪面滑走用のソリが付けられており、いかにも
北欧の感じが醸し出されている。
武装は7.9mm4丁のみとやや不足気味。 
それでも97戦より重武装ということにはなるか。


SBと並ぶソ連軍主力爆撃機の1つ、DB−3。 
新鋭機ではあったが、運用のマズさで被害も大きかった。
これも主脚にソリを履かせているが、大半のソ連の双発機はソリで
はなく、タイヤのままで作戦行動したらしい。
5機のDB−3がフィンランドによって鹵獲機とされており、後年に
対ソ戦でのドイツの鹵獲機が回されてきた事もあって、最終的には
11機がフィンランド空軍機として運用されたと言う。


序盤戦では爆撃機のみを繰り出してきたソ連軍も、D−21による
精強な迎撃戦の被害に対して、当然ながら戦闘機を投入し始めた。
ソ連の主力戦闘機I−15系とI−16では飛行特性が全く違う。
総じてD−21は、I−15系よりおおむね優速で、I−16より
おおむね劣速。 そしてI−15は運動性でD−21に勝り、I−16
は運動性ではD−21に劣る、といった性能の具合。
D−21は、迎撃戦闘に対する高い錬度のパイロットが操っていた
ので、この性能差を巧妙に利用し有利な空戦を展開していた。
ただ、ソ連爆撃機のSBやDB−3は投弾後の最高速がD−21を
上回っており、早期にD−21が発見されると捕捉が困難だった。
ただし、D−21以外の複葉機では、そもそも戦闘空域に到着した
頃には敵機は姿も見えないと言うのが大半だったので、結局の所
少ないD−21が、がんばらざるおえなかった。



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