タイダルウェーブ作戦



1940年、イオン・アントネスクを首班として親ナチスの政権が
ルーマニアに建った。 ドイツはルーマニアにある欧州最大の
石油生産地域プロエスティ油田を必要としていた。
自国内でまったく石油を産出しないドイツの年間石油需要の
実に30%をまかなえるものだった。
親ナチス政権の発足によって、無血でこの油田地帯を入手した
ドイツは、以後アントネスク政権へのテコ入れを強化していった。

1942年6月5日、アメリカは枢軸側についているルーマニアに
戦線布告した。  この時、対日戦用に空輸していたB−24を
その中継基地からルーマニアに対して発進させ一撃を加える
計画を立てた。 その目標としてプロエスティ油田が選ばれた。
13機のB−24がギリシャを越えてプロエスティを目指す。
侵入高度は9000m。 プロエスティを狙った爆弾は全てそれて
しまい、実質被害は無かった。
プロエスティから最も近い連合軍基地は1800kmの彼方であり
まさか来るとは思ってなかったドイツは、急遽プロエスティの防空
の強化に乗り出した。
東部戦線で整備や運用などの問題を抱えていた、ルーマニアの
国産戦闘機IAR−80戦闘機の2個部隊60機を急遽移動させ
防空に当たらせ、ドイツからも戦闘機1個部隊を送り込み、この
油田地帯の防空のためだけに配備し、対空火器も増強された。
以降、プロエスティ防空を司る司令官は、連日のように防空訓練
を実施し、防空に対する将兵の技量と士気の向上に配慮した。

結局この小規模な爆撃は、連合軍はここを爆撃できるぞ、とドイツに
宣言しただけにとどまり、以後のプロエスティ爆撃を困難なものに
するだけになった。



ルーマニア国産の戦闘機IAR−80。
930馬力で510km/hを出すスペック。 武装は7.92mm4丁。
後期型では20mm2門装備となった。
ルーマニア発の近代的低翼単葉引込脚のため、初期トラブルは
あったものの、プロエスティ防空ではかなりの損害を出しつつも
B−24をはじめ連合軍機に損害を強いた。




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