タイダルウェーブ作戦



1943年夏の段階で、アメリカでは枢軸側から奪還した北アフリカの
航空基地に第9航空軍を設立していた。  ヨーロッパ西部を管轄し、
イギリスを基地とする第8航空軍に対して、第9航空軍はヨーロッパ
東部をその管轄下に置いていた。
各種戦闘機や双発爆撃機を主力としていた第9航空軍に四発重爆を
配備して第8航空軍の手の届かない地域を爆撃しようとする算段。
その中で、四発重爆でのみ編成された航空軍の設立を計画していた
アメリカは第15航空軍を設立し、第9航空軍の重爆戦力5個連隊
180機のB−24を移管し、その戦力を基幹として運用が開始された。

同年8月1日、第8航空軍からの増援を含め、179機のB−24が
リビアはベンガジの航空基地群を出撃した。 離陸時墜落機を含め
トラブル機を除いて165機が長駆プロエスティを目指す。
7月頃からベンガジ周辺で地上50m程の超低空飛行を訓練した
B−24は、超低空でプロエスティに侵入する予定だった。
プロエスティの模型を使い爆撃地域を厳密に指定された各機では
あったが、長距離のため爆弾の搭載量を減らさざるおえなかった。
その為、レーダーにひっかかりにくく、防空戦闘機としても攻撃しに
くく、爆弾の命中率も高い超低空爆撃が採用されたのだった。
瞬発信管だと、自機の落とした爆弾の爆風に巻き込まれかねない事
から全て遅発信管とされた。

5個の部隊に分かれて進撃するB−24だったが、まず天候の悪化に
よって編隊維持が困難となった。 また先頭編隊の長機が変針時期を
誤りプロエスティより南で変針してしまう。 この編隊はルーマニア
首都ブカレスト上空に達してしまい、激しい対空砲火に包まれた。

5個編隊による、同時多方向超低空からの奇襲攻撃と言う作戦内容は
完全に目算が外れ、バラバラの低空攻撃となった。
偶然にも進入時期が連動したB−24同士が非常な近距離をすれ違う
事もあり、きわどい爆撃行だったが空中接触による損失は無かった。


プロエスティ上空のB−24。
周囲の状況からその低空飛行ぶりがうかがえる。

早朝からベンガジ周辺での無線交信が多かった事などから、ドイツ側は
警戒態勢を敷いて待ち構えていた。
プロエスティ周辺では109機の防空戦闘機と237門の対空砲火が待ち
構えていた。 対空砲火だけでも33機が撃墜されたと言う。
撃墜された機体はほとんどが超低空だった為、搭乗員は脱出の機会が
得られなかった。




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