カテキズム作戦



ティルピッツの脅威
当時のイギリス首相チャーチルは戦艦の威力を高く見ていた。
航空兵力が戦争の打撃力の大半を占める事になった時期においても
その考えは残っており、少し大艦巨砲主義の残照が残っていたようだ。
実際テルピッツは、英軍を悩ませたビスマルクの姉妹艦であり、決して
甘く見れる相手ではなかった。 その存在自体が援ソ輸送船団に対する
脅威であり、ティルピッツ出撃の「誤報」が船団を壊滅に追いやった事も
あった。 しかしながら、元々ドイツの海軍力は陸・空軍に比較して低い。
ティルピッツは、1944年春の時点ですでに動き回る事のできない戦況、
状況になっており、実際の脅威度は低いものであった。 
しかしそれを国家指導者が脅威と感じると真っ先の攻撃対象となる。
ティルピッツ撃沈が英軍の命題となった。

フィヨルドの奥へ
ティルピッツ撃沈まで10回以上の攻撃作戦が繰り返されるが、傷付く度
ティルピッツは修理と移動を繰り返し、ノルウェーのフィヨルド水域から
出撃する事は無かった。
防空戦闘機、対空砲、防雷撃網、などに守られ、もはや戦艦としての作戦
行動は夢になりかけていた。
損失を恐れたヒトラーが作戦行動を禁じていたとも伝えられている。
空母まで動員した多くの航空戦力、爆撃戦力、特殊潜航艇を用いた際どい
作戦まで実施されたが、フィヨルドという急峻な天然の要害にまで守られた
大戦艦の撃沈は容易ではなかった。


ティルピッツは戦況の悪化に伴い、出撃回数が減り、存在自体を脅威と
させる戦略の駒とされた。 その意味では単艦で英軍の多くの戦力を引き
付けた戦果を上げたと言えるかもしれない。




次項へ


特集見出しに戻る