サンダークラップ作戦



ヨーロッパにおける第2次世界大戦の趨勢もほぼ決した1945年2月13日。
ドイツの古都・ドレスデン。
ポーランド、チェコスロバキアとの国境に近いドイツの東の端の都市。
いわゆる東部戦線がほぼ総崩れとなったこの時期、ドイツ系の多くの人々が
進出していた国外地域からドイツ国内へと非難してきていた。
この時期には20万人以上の避難民がドレスデンに存在したという。
ドレスデンは、この時期まで都市部への爆撃は受けていなかった。
軍事施設や軍需産業が存在せず、古い建築物を狙う以外にあまり破壊対象と
なるような目標が無かった。
しかし、ドレスデンには鉄道の要衝となる立地条件があった。
ポーランド、チェコ、とドイツとを結ぶ鉄道の操車場は、外向きには兵站
施設となり、内向きには避難経路となる。

対ドイツで表面上だけは「団結」している米英ソの連合軍ではあるが、米英
にとって実はソ連は決して味方ではない。
ソ連が東からドイツに攻め込む時にそれを支援する為、兵力増援や移動を
妨害し、国外地域からの非難経路を遮断し混乱させる為、という名目で米英
の「力」をソ連に見せ付けておきたい思いがあったという。
こうして一度は立ち消えとなっていた、ドイツ東部の都市を1千機の爆撃機で
一気に叩く作戦「サンダークラップ作戦」が敢行されることになる。
この作戦は米英がその「力」を見せ付けたい、ソ連の承認も取り付けていた。


ランカスターと共に英爆撃隊の一翼を担った、ハリファクス爆撃機。
ドレスデン爆撃にも出撃した。
周囲の兵士と比べれば、ハリファクスの大きさがわかる。

今まで大規模な都市爆撃を受けていないドレスデンの防空組織は、戦闘機も
対空火器も別の地域に移動させられていた。 ほぼ無防備都市であった。
2月13日、22時15分頃、パスファインダー機のモスキートを先頭に
爆撃隊がドレスデン上空に殺到した。
防空戦力もないドレスデンには空襲警報すら出ていなかった。
第一波のランカスターを主力とする約250機の爆撃機は1300t以上の
爆弾や焼夷弾を極めて短時間の間に投下した。
警報もなしにいきなり1300tの爆弾が市民の上に落とされたのだ。
どうなっただろうか? 想像して頂きたい。

大混乱に陥ったドレスデンに対し、その3時間後の翌14日1時30分頃に
第二波のランカスター約530機が3000tの爆弾を投下した。
消火隊も力尽き、焼き尽くされるままになったドレスデンに、14日12時
過ぎには米第8空軍のB−17が300機以上の編隊で襲いかかった。
800t近い爆弾がさらに投下された。
ここに、1000機の四発爆撃機による飽和爆撃は完遂された。
5000t以上の爆弾が半日でドレスデンに投下された。


政治的理由から昼間爆撃を選択した米第8航空軍。
その主力がB−17G型で、爆弾搭載量こそ英四発重爆群より少ないが
武装は強力で、ノルデン照準機による爆撃能力も昼間精密爆撃には有利。

結果は重大であった。
ドレスデンの主だった地域は焼き尽くされた。
狂信的とも言えるほどの超強気なドイツ宣伝相も強気を張り切れなくなり、
被害の大きさを「米英の残虐さ」に対するプロパガンダとして使う方向に
向かわざるおえなくさせた。
最小でも25000人、最大では135000人が犠牲となった。
当時のドレスデン市民65万人に対して、20万人とも言われる避難民の
詳細な把握ができないから犠牲者数が計りきれないのである。
もし最大に近い数が事実とすれば、東京大空襲や広島、長崎、を上回って
一夜で犠牲となった人の数では、有史以来最悪である。


爆撃を受けるドレスデン市街。


次項


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