『解放令』よ

お前は

大地に春を呼ぶ希望の光か

それとも

まやかしの妖光なのか





「解放令」と「高取県」 1871(明治4)年


穢多・非人の称を廃止し、身分・職業共平民同様としたもので、被差別部落の人びとにとっては、不当な差別に抵抗する根拠となった。しかし、こうした布告は「枝郷岩崎」には届けられず、庄屋の坂本清五郎が書き写したものと考えられる。


阪本膠(にかわ)工場 1930年代


田んぼに広がる桟(さん)は膠を乗せた簾(す)を置く干場(ほしば)で、高い煙突の建物が阪本膠工場。背景に控えるのは本馬山(ほんまやま)である。



1922(大正11)年、柏原(旧岩崎村)から生み出された全国水平社。それは、長い間の差別に対する抵抗と闘いの歴史の結実でした。徳川幕藩体制が終わり、近代に入って「解放令」を手にした柏原(旧岩崎村)の人びとは、対等・平等を求めて立ちあがりました。このとき、暗くたちこめる雲間に一筋の光がふりそそいだのです。



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