水平社博物館-フィールドワーク解説F
○ 誓願寺
全国水平社創立当時、この寺の住職には三浦参玄洞(大我)がおり、西光
・阪本らのよき相談相手でありました。
水平社創立趣意書の『よき日の為めに』は最初、
阪本清一郎が親戚筋にあたる大和同志会会長の松井庄五郎に印刷を依頼しますが、訂正・
削除がたくさん加えられて返されたものを、三浦の計らいにより同朋舎で印刷されました。
言わば、三浦の存在がなければ、『よき日の為めに』も世に出ることはなかったでしょう。
また、三浦は中外日報社の記者として水平社支援の論陣を張り続けました。